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エジプト1 一人旅のすすめ

イタリアの昔のPCに残っていたアフリカ日記発見。値段など旅情報になればとアップしますので、エジプト旅行など計画してる人のみどうぞ。(2008年秋の£1=20円計算)

2008年9月17日 晴れ 初めてのエジプト
ウガンダの帰り道、午前8時過ぎにカイロ空港着。ガイド本を持っていないため空港でネット検索。途中で電源切れ。仕方なく一般バスでダウンタウンへ。なんとなく訊きながら乗ったバスは見事カイロ市の中心へ。しかもエアコンつきで2エジプトポンド(40円)。初めに訊いて乗り込んだバスは故障で皆降りたが、お陰でエアコンつきに乗れた。10円らしいが、この暑さでエアコン無しは辛い。
 街についても自分が何処にいるのか判らず、ブラブラと歩き、ネットカフェを尋ね歩く。路地の奥にあったネカフェは3台しかない薄暗いところで日本語も読めない。英語で地図を検索し、現在地を確認。目指す安宿もすぐ近くだった事が判明。

 ラマダン中で食堂が閉まっているところが多いとの事で、仕方なくKFCへ。エジプトオリジナルっぽいのを注文。セットで600円くらい。バスは安いのにKFCは日本より物価高い??
 午後は、安宿で昼寝し夕方から翌日のナイルクルーズなどの手配のため旅行社へ。一般向けのクルーズ料金の半額以下で交渉成立。夜中2時に発つ旅人を見送って消燈。

9月18日 晴れ。 独りきりのピラミッド朝6時に目が覚め、朝食後7時前に路線バスでピラミッドへ
入場料£50に+クフ王£100、カフラー王£25の参観料。
物凄い行列の出来ているクフ王のピラミッドを横目に、先に人が少ないうちにカフラー王のピラミッドへ。それでもかなりの人がいるので、内部は臭く息苦しい。その後、ゆっくり外を見学し、人が掃けるまでピラミッドの陰で読書。大方ツアー客が帰った後で、クフ王のピラミッドへ。前に入った10人弱の団体がすれ違って出て行ったきり、全くのピラミッド貸切状態。大回廊をゆっくりゆっくりと登っていく。観光客は皆息切れし、内部の空気の悪さにすぐ外へ出たがるが、誰もいないピラミッドはひっそりと僕を受け入れて「ゆっくりしていきなさい」と言う。大回廊に最上段に腰掛け、古の昔に思いを馳せる。この四角錐のほぼ中心に位置している。
玄室に入ると、そこは異空間。ピラミッドの真ん中の真ん中くらいかなぁ?

ピラミッド内部
1.入口 2.盗掘孔 3.上昇通路入口 4.未完の地下室 5.脱出孔 6.上昇通路分岐点 7.女王の間 8.大回廊 9.控えの間 10.王の間 11.重力軽減の間 12.通気孔

誰もいない事をいいことに少し大きな声を出してみる。これまでに味わった事の無い音の響き。甲高い音や低い音を次々に試してみる。この反響はここでしかない出来ないことが、後で大回廊や他の所で試した結果判明する。こんな所で奇声を上げたのはこれまで何人いただろうか?少なくても観光客が沢山いる中でこんな事の出来る馬鹿はいないだろう。深い静寂の中で眠りを覚まされた死者が呪いをかけないでくれたらいいが…等と思いながら、「騒いでごめんねぇ。お許しをーm(_ _)m」と独り言を言って立ち去る。
午後はゆっくりエジプト考古学博物館を見学。遅めの昼食はArabesqueが見つからず、Felfelaでモロヘイヤのスープ等有名なものを鱈腹喰らいつく。
夕食は有名な庶民の味コシャリを食べたく、街中をうろつく。途中、旨いジェラート屋やジュース屋に立ち寄る。

夜のフライトでアスワンに向かう。1時間遅れの24時に到着。お洒落で格好いい20人乗りのバンにガイドとドライバーがずっと待っていてくれた。客が一人では勿体無いので、同じ便で知り合った旅人2人を乗せてあげる。
ホテルはナイルの川沿いで、屋上のプールから眺めるナイルは最高。

9月19日 晴れ ナイル上流

午前中、アスワンダム、ハイダム、イシス神殿Ma’dad il-Fiilaを見学。
またもこの車に1人だけ?Ma’dad il-Fiilaへ向かう渡し舟も20人乗りを貸しきり。見学時間も待たせてちょっとリッチ気分。

13時にクルーザーに乗り込みリッチな昼食。午後はデッキのプールで泳ぎ、ビーチベットで読書と昼寝。夕方Kom Ombo見学。


ナイルを滑る豪華客船 【M/S Nile Treasure】
海のクルージングと違い、全く揺れを感じない。
エンジン音も無く、聞こえるのは風が耳を通り過ぎる音と水を切る音だけ
デッキの最前列中央にあるベッドに横になる。

航海を示す船灯だけが視界を遮るほかは、何も邪魔するものはない。
上を向くと満天の星空!!と行きたい所だが、この客船は少し明るすぎるようで1等星とその他ポツポツ位しか見えない。
その明かりに薄っすらと照らされて、ナイルの両岸に茂る熱帯植物が目に心地よい。
時より村の明かりが通り過ぎ、途切れ途切れラマダンの祈りが風に運ばれてくる。
昔どこかで聞いた音楽のよう…

さっきまで気がつかなかったが、耳をすますと後ろで旗のたなびく音や観葉植物の風に揺れる音、デッキでお喋りしている客の声が。耳と言うものはよく出来ていて、聞きたいと思うものに耳を凝らすと聞こえるように便利に出来ていることに気づく。逆に聞きたくなかった時は無意識にシャットダウンしていたのだと妙に感心。

東欧の金持ち一行らしく、聞き覚えの無い言葉で話す。東洋人客はまたしても一人で、誰に気兼ねすることなく、日本語を打ち込む。思えば、中国人や韓国人客がいたとしてもこんなに自由には出来ないかもしれない。ましてや日本人がいたら…

“何者も邪魔しない世界。”

昼間の暑さはどこに行ったのか、涼しい風が体を通り抜けていく。
ウガンダで感じた全身から癒される感覚とは全く違うが、これはこれで体にいい事をしている気がする。・・

続きの日記は、左のカテゴリからアフリカの旅 (3) をクリック
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テーマ : 旅日記 - ジャンル : 旅行

エジプト3 一人旅のすすめ

9月21日 快晴 夢に見たルクソール
朝、客船にガイドが迎えに来て客船をチェックアウト後、専用車でホテルまで送迎。
昨日の夕方、ルクソール神殿を見たので、今日は西岸を見たかったのだけど、9時半にチェックインした際、明日の気球で空から遺跡を回る旅を予約したらさっさとガイドがいなくなった。

昼は暑くて動けないので15時過ぎ、予定時間20分オーバーで別のガイドが、東岸を案内した。仕方ない...。
明日西岸へ行き、帰ったらホテルのプールでゆっくり過ごそう。ここは暑い!!

埃及記念に路地の床屋でカット。はじめての日本人客という床屋に髪切って、髭そったら別人のように若くなったと言われる。素早い手捌きは良いが耳まで切られた。

9月22日 夜明け前  気球の旅
気球は良かった。ヘリと違い雑音がなく、時折熱を入れるバーナーの音さえ心地いい。農村の人の生活を真上から覗くのは失礼だが、飛行機と違い停止している位ゆっくりと進むので、よく見える。腕に自信を持つキャプテンは、途中の畑で地面がスレスレを飛行し、目の前に聳えたサトウキビ畑で急上昇し、底をすらせるテクニックを披露した。
20数人が5つに区切られた籠に乗り込むのだがこれが15機くらいあり、1日2組ずつ。つまり、少なくても3百人位が毎日気球に乗ってルクソールの遺跡の上を飛んでいる。以前は1人100-150ドルだったそうだが、その儲け話にドンドン同業者が増えて、価格も競争でおちたようだ。それでも僕は70ドル、シカゴの旅人は90ドル。UKのダイブ元オリンピック選手は、エジプトに何回も来ており60ドルくらいで乗っていた。

気球の後は、ルクソール西岸の旅。Memnonの巨像の前で昨日のツアーメンバーを待ち、一緒に王妃の谷へ。彩色壁画が美しい。続いてHatshebset女王の葬祭殿へ。のちに自らファラオとなったこの人、やることがでかい。死んだ跡は反感を買ってリベンジを受けたらしいが。

その後は、お決まりの土産物屋に連れて行かれ、お茶を飲んでクライマックスの王家の谷へ。ここは、各所で紹介されているので語る必要もない。限られた自由時間の間にSeti2世の墓へ。熱射病になりそうな中、駆け足で戻ってくる。

ホテルに13時半に戻り遅めの昼食。慌ててイタリアの友人達へ水パイプの土産を買いに。外国人だと5倍の値段を平気で吹っかけてくるが、最終的に千円くらいで交渉成立。しかし、もっと大きくて綺麗なやつにしたので、千五百円くらいのものになった。

18時に早めの夕食を取り、送迎タクシーを待つ。こっちは、いつもドライバーと英語の流暢なガイドの2人が客一人のために送り迎えしてくれるので、ちょっと申し訳ない。しかも、新車じゃなくてもボロ車でいいのに…電車が遅れた1時間の間、ガイド達は、ずっとプラットホームで待っていてくれた。バックパッカーに体が戻っているので、勿体無い病が出てきた。

9月23日  カイロ晴  ローマ曇のち雨

朝からついてない。
昨夜20時にルクソールからカイロ行きに乗り込んだがカイロ着は2時間遅れの朝7時。遅れは予想していたので、時間的には問題ないが、駅に出迎えに来たホテルの人は2時間待ち。その後直接空港へ向かうかと思いきや、ハイヤーはホテルにあるのでそこまで流しのタクシーで向かう。ホテルからは日産のいい車で空港まで、運転手は大学出の23歳で嫁さんと4ヶ月の娘はイギリスと言う。兵役が終わらないとパスポートを手に入れられないので、会いに行けないそうだ。でも大学行かない人は4年の兵役があるので、2年の自分はまだましなほう。嫁さんはクリスチャンだが、折を見て少しずつ話してモスリムに改心して貰いたいとの事。

空港では、「3つ以上の手荷物は駄目、安心と言うので土産に買った水パイプ2つを預けた。」案の定、一つは壊れて出てきた。カイロのパスポートコントロールでは、少し古くなったパスポートを怪しまれ、パスポートとボーディングパスを別室に持っていかれた。調べた後、問題なかったので帰ってきたが、券がない。文句を言って再発行して貰ったが、そうこうしている内に免税店で買い物する時間が少なくなった。慌てて残ったエジプト£5千円分くらいだけを使い切り、滑り込みで機内へ。
カイロ→ローマ
ローマの空港に降り、空港内のバスに乗る際、荷物を降ろしている姿が見えた。ドンドン投げ入れている。突然大きなバックが飛行機からボトリ!乗客のブーイングの嵐。その後、預けたパイプが見えた。「あーぁもっと丁寧に扱えよ!それガラスだぞ!!」と窓から大声で叫ぶ。あの時、走って取りに行っとけば、割れてなかったかも。

壊れた証明を取るため並ぶが時間が無いので諦めバス停へ。14:15予定時間より5分以上早かったのに、『Fermo行き直通は2分くらい前に行ったよ...』おいおいおい...しかたなくもう一度荷物受け取りのところへ戻る途中、警官の態度が悪いので半分喧嘩になったが。「俺は警官だぞ!」とエバリ腐り、ちょっと胸を押してきたので毅然とした態度を取ったらその後はOK。

その後、電車でローマ市内のバスターミナルまで出たはいいが、目の前を16:10のFermo行きが通り過ぎる。次は21:15発の最終。到着は24:25しかも途中のPorto S. Giorgioまで。最悪!! 

夏のイタリアから春のウガンダへ。帰りに寄ったエジプトは真夏だったがイタリアに戻ったときは秋を通り越して冬の気配。外のベンチでこれを書いていたが、Tシャツに2枚長袖を重ねても寒さが体を侵食してくる…。

エジプト2 一人旅のすすめ

9月20日 快晴 長い船路

朝食後、EdfuのHorus神殿を朝一番で参観。保存状態の良さに唖然、スケールの大きさに圧巻。

これからルクソールまで船を滑らせ、夕方に到着予定。
昨日に続きサンオイルを塗ってデッキで寝転んだが、日差しが強くて入力困難。ベンチとテーブルを誂え、PCからはCairo to Casablancaを流しグラスに冷たいミネラルウォーターを。

長江・黄河を見てきている身にとってナイルの幅は狭く感じられる。岸まで100mあるだろうか?そこから1km位に椰子の木や熱帯植物が生い茂り、その向こうは果てしない砂漠。時折川岸で遊んでいる子供達が大きな声で呼びかけ大きく手を振る。負けずに微笑んで手を振り返す。どの国に行ってもそうだが、観光客ずれしていない所での子供達は無邪気に全身を使って手を振る。この船は毎日通るので、お金が欲しいわけではなく、外国人が珍しい訳でもない。大きな船やトラック、バスや電車に乗って見知らぬ所へ行く人たちと何かしらコミュニケートしたいのだ。
ガキの頃、菊池川で遊びながら通る船や電車に手を振っていたのを思い出す。手を振り返して貰っただけで、とても嬉しかった。あの頃、自転車で回れる半径3kmくらいがテリトリーだった。たまに遠出したり、親父に連れられて隣の町に行ったりするとはしゃぐし、旅行しても熊本市内や阿蘇くらい。いつも帰りの車で寝てしまい、起きると自分のベッドの上だった。電車で九州を旅するときなどは、非常に遠くに来た気がした。

年をとるにつれ遠くへ来たと言う感じを抱かなくなった。
中国全省や東南アジア各国を回ったときはどうだったかなぁ?

“思えば遠くへ来たもんだ。”初めて抱いたようなこの感情...
“アフリカ大陸に来たんだ!!”ウガンダは緑に溢れ、田舎の町の感じやマーケットなどもどこか中国を感じ、懐かしかった。同時に毎日が興奮と感動の連続で、ゆっくり思い返すことも無かった。
赤道直下のアフリカだったんだぁ。
“思えば遠くに来たもんだなぁー。”

人間が行けるトコで遠くても、九州の裏側はチリあたりか。アフリカやチリに駐在でもして、チョクチョク行き来するようになれば、この感情は抱かなくなるだろうなぁ。
死ぬまでに宇宙旅行が一般的になっているのだろうか?

また、泳いでいる子供達が何度も呼びかけて手を振ってくる。これまで見てきた途上国の田舎の村に育った子供達は、一生自分の村を出ない子も多い。出ても一番近くの町か市に働きに。村で1番の子供が県庁所在地の学校に行き、その中で勝ち残れれば村の期待を一心に背負って省都や首都に行く。大学では、学費を出すために働く兄弟や親、親戚のことを考えると、毎日夜中の2時まで教室で自習し、朝は日の出と共に体を鍛える。そんな人たちを何人も見てきた。
出来もよくないのに、のほほんと生きてきたのに、俺はこんな遠くまで来て罰があたる。神や日本や親に感謝したって口だけの感謝はいらないと言うだろう。行動で返せといわれれば...、お国のため、世のため人のため、動植物のため、地球環境・全宇宙のため…に何かせねば!!
生まれてきて、事故でも死なず活かされている意味がない...((+_+))

登りの客船がすれ違って、デッキに同じような外国人が寛いでいるのを見て我に帰る。

ナイルはゆっくり流れる。源となるビクトリア湖から流れ出たときは、あんなに激しく、何度もラフティングボートをひっくり返そうとしたのに。
あの時のマチソン滝の水が今頃ここにながれついているだろうか?
“流れ流れて思えば遠くに来たもんだ。”

ラフティングで学んだことは、『流れに逆らうのはかなり困難で、流されるままはとても簡単。混沌とした濁流の中ではつい先を見失うが、滾々と沸き出水の流れを読み如何にそれに乗るかが大切。』と...。燦燦と降り注ぐ太陽の下でこんな淡々と書いているが、ドンドン進んでもいつもトントン拍子で行くわけもない。

長くなりすぎたので今日はここまで。

夕方、Luxorに到着。神殿の真横に客船は横付けされた。

ウガンダ j一人旅のすすめ

ウガンダと聞いて、ピンと来て、行きたいと思う日本人は少ないと思う。
僕も行くまでは、お隣のルワンダは有名だが、ウガンダは全然ピンと来なかった。

しかし、イギリスの統治と一年中まさに常春のウガンダは観光地としても見所がいっぱいである。
いつか、時間ができたら詳しく書くが、
・安宿から高級ホテルまで
・サファリが見所、自然のままのキリンや象が走り回る。ケニアだけじゃない!
・ビクトリア湖は、アフリカの宝石
・湖から流れでるナイル川の源流では、トレッキングが楽しい
・赤道を歩いて渡れる数少ない国の一つ
・ゴリラの保護区付近にも時間を贅沢に使って泊まれるロッジなどが点在
・高原のため一年中春の気温で暑くなく、寒くなく過ごしやすい

いくつか並べるだけで、行ってみたくなったでしょう(^-^)

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