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日本語 忘れ?

ニュージランドのビーチでサマークリスマスで出会った彼女と挙式を挙げた。隣のビーチでは、ビーチボールをしたり、ビーチダービーが行われていた。元旦の朝から真夏の太陽の炎天下のもと、タキシードは汗でびっしょり濡れ、不快感を感じていた。その時、思いがけないハプニングが!!ダントツの1位で一番最初を走っていた競馬の馬がコースを外れ、式場に猛突進で突っ込んできた。騎手は馬から落馬し、被害を被ったのは新婦の花嫁。気を喪失し、呼びかけても返事を返さない。しかし私は、この絶体絶命のピンチを切り抜けれるとはっきりと断言した。


上記の文章を読み、間違いを訂正しなさい。
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テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

中国発展の裏側 天津編

(写真はクリックで拡大します)
緑がニッコー、Aは問題の50階ビル、右斜め上が天津駅

昨年末から次々と地下鉄が開通し、イタリア政府の出資で旧イタリア疎開地がイタリア風情街として生まれ変わるなど、発展著しい天津。地下鉄1号線と2号線が交差する営道口駅の真上に立つ伊勢丹やホテルニッコーは、誰もが知るランドマークだ。ニッコーの並びにも50階を超えるビルが次々に建設され、外観は世界にも引けを取らない中高層ビル群が立ち並ぶ。
一番奥がホテルニッコー、ホテルはその3つ隣、その隣のビルの1-2階も廃れている


そんな一等地に、何故か格安ホテルがあったので、宿泊してみた。ロビーや調度品も高級で悪くなく、朝食の種類は少なかったが、268元とは思えない環境だ。しかし、お客は非常に少ない。サービスも悪い。管理が悪いから客が入らず、値段を下げる→更に管理が悪くなる→客が減る…負のスパイラルが見て取れる。
部屋ではネットがすぐ切れるし、シャワーも直ぐに冷たくなる。新しいビルなのに何故なのか?空いた時間にビル内を探検してみた。
看板だけが、往時の勢いを物語る
ホテルの出口横にビルの地階に伸びる階段があった。お洒落な西洋風の造りで、最新の服屋や美容、DJハウス等色々なお店が軒を並べていた痕跡が看板から見て取れる。客が入らなかったのか、全て店じまいしている。その後、小商品市場と呼ばれる雑貨や文房具・掃除用具など日用品のお店が入ったのだろう。それもなくなり、今では野菜や肉、麺などの粉もの等の食材を扱う店が8件ほど、西洋洋風の造りの広い地下の一角に、似つかわしくない段ボールなどが重なり営業している。

綺麗な内装でも段ボールの奥は野菜や生の肉魚


こんな地下でこれを買っているのは誰なのか?
この市場から直通エレベーターで48階まで上る。上はオフィスかと思えば、全て薄汚いマンション。事務所で使っている所もあるかもしれないが、あまりにも廊下が汚い。管理が悪いから汚れ、家賃も下がり、更に悪くなる。ホテルと同じ負のスパイラル。エレベーターも8台中2台が壊れ、他もギシギシ音が鳴り、キチンと点検されているのかどうか?あまりに音が大きいので30階で降りると、そこには、日貸しの部屋があり、1日150元、一週間なら1日当たり140元だそうだ。外の数十元の旅館程の不潔さは無いが、3時間40元で貸すシステムがあると聞いて、気持ち悪くなる。


50階からの東への眺め

このホテルの50階から東の方面を見ると、五大道の向こうに国際大厦も見える。隣に見えている同じく50数階のビルの1-2階も以前はお洒落なショッピングモールだったのだろう。
人気は無く、物言わぬ銅像だけが不気味

お洒落な路地の様に西洋風のベンチやライト、お洒落な若者や子供達を表す銅像が至る所に設置されている。オープン当初は、華やかだった事だろう。今では客も少なく、エスカエーターは止まり、寂れた雰囲気が、隣のビルの地下街の道を辿るかのようだ。
商品は、店の外で安売りしても、客は殆どいない

それでも、どんどんビルは建設され、イタリア風情街と同じく英国などの疎開地も再開発が進む。そしてオープンして3年も経つと寂れてくる...。これでも作り続ける限り、生産/消費は続き、雇用も生まれる。同時に大量のゴミも生まれている。生産時や廃棄時の汚染も深刻になる。直轄市で政府肝いりの経済開発都市の中心地でもこの有様、地方にどんどん建設されているビル群はどうなるのか...。あまりの恐ろしさに想像したくない...。

大使館も資金投入で出来たばかりだが、もう評判は悪くなり始めている


スクラップ&ビルドが繰り返されているが。50階以上のこのビル群、そう簡単には壊せないだろう。でもエレベーターや内側の壁等はもう壊れかけている…。ビル内は空室が多く、友人の部屋のビルの家賃は8年前の3分の1に下がったそうだ。北京では上がり続けているのにお隣の天津ではもう崩壊し始めている...。
洋館のすぐ後ろ、左手がホテルのあるビル、右手が廃れる寸前の五大口ショッピングセンターのある誠基中心

(洋館のすぐ後ろ、左手がホテルのあるビル、右手が廃れる寸前の五大口ショッピングセンターのある誠基中心)

テーマ : 海外でのお仕事 - ジャンル : 就職・お仕事

上海近辺のBiz.旅

上海とその周辺の発展はめざましい。
以前毎週のように仕事で通った張江や新天地、虹橋への地下鉄アクセスの便利さ、森ビルを超えるビル、昆山や蘇州・無錫には、新幹線であっという間に到着。ニュースでは聞いていたが、実際に体験するとやはり驚く。
今回はBizトリップだったので、午前に蘇州、午後張家港、夜上海での1時間半づつ人と会う。その為の5時間以上の移動は、日本で車をチャーターしたので4万弱、時間とお金を使っていくのだから、実りある話にせねばならない。
この張家港、観光で来ても何もないが、日系企業の工場も多いので、仕事で行った方も多いかもしれない。街は整然としていて新しく、工業区も中心部に近く、何よりごみが落ちていない。なんでも清掃員の数が普通の街の2倍とか...。「雷峰に学べ」ヨロシク「張家港に学べ」と言われているそうです。

数年ぶりに来たあの街は大昔の話の様に感じる。
しかし、変わらないのが新天地のライブバーの活気。外国人と中国人が入り乱れ、懐かしい曲と酒に酔いしれる。中国の経済は翳りを見せたと言うが、この新天地のバーにいる限り、ここが欧州なのか中国なのか?100年前なのか100年後なのかすら判らなくなる。
そう言えばもう1件、15年以上足を踏み入れなかった、和平ホテルのジャズバーにも行ってみた。あの頃のジャズマンはもういないかもしれないが、独特の香りとジャズの調べは何年も忘れていた約束を思い出させる。
20年近く前に少し背伸びして来たこの店で、アラフォー男3人がビジネスの夢を語り合う。
20年後はどんな自分になってこの店にくるのだろう。この100年間、色んな客を見守ってきたこの店に...。

もう一つ変わらぬものがあった。北京-上海便。北京が大風だとかで、飛行機は2時間以上遅れている。この区間の飛行機の遅れに何度も泣かされ、夜中遅くに北京に帰ったものだ。ある程度の事では動じなくなったのは、中国に慣れたのか年取ったからなのか…。
カウンターで交渉して、やはり遅れている2時間前の便に変更できたので、結果的に同じ時間に乗り込むことになったが…、大型のA330 は満席で中間席、搭乗後飛び立つまでに更に2時間弱待たされる。何とか21時頃空港を出る事が出来そうだ。もしチケットが変更出来ていなかったら、一体いつ飛んだのやら...。まだ若造、まだまだ気長に旅しなくっちゃ。


テーマ : 中国 - ジャンル : 海外情報

別府の旅

温泉好きの私にとって、別府は何度もいくところの一つだが、中々奥が深い。日本で確認される11種類の泉質の内10種があるという。湯めぐりした後は、肌もツルツルで北京暮らしの解毒をした気になる。
今回行ったのは、不幸な事件はあったものの別府三大秘境湯の中の一つへび温泉、200円の市営温泉でも露天は最高。お地蔵さんに守られた無料温泉、そして鉄輪の温泉街と湯煙…。日本一の湯量に負けない位の大勢の観光客が来る場所でも、日本や世界中から来た人々に喜んで貰おうと、温泉も街中も清潔に保ってある(かの国の空気と観光地に慣れた私には、日本は本当に綺麗好きな美しい国と思う。空気も水も美味しい)。
今回泊まった宿もよかった。年に1-2回は高級リゾートホテルも使うが、バックパッカー時代の面白味が抜けず、基本的には安宿が中心の旅。旅の情報交換の為、ドミトリーを使う事もある。また、じゃ○んやトク○等で半額等のキャンペーンをやると、つい予約してしまう。
じゃ○んでも、公式サイトと同様の価格だったが、もともとコスパの高い宿で、口コミや女将のブログも良く、一度行ってみたかった。若女将や女中さんが一生懸命持て成してくれる。閲覧可能な図書の中には、ホスピタリティーに関するものも多く、いかにおもてなしの心を大切に考えてきたかが伺える。旧館でも清潔さを保ってあり、大正ロマンと昭和レトロさを売りにしたラウンジや貸切風呂は、趣を手軽に満喫できる穴場かもしれない。
また泊まってみたい宿の一つだ。鉄輪バス停徒歩数十秒で、空いていれば1人の素泊まりも出来き、近くの食事処や市営蒸し場で蒸し料理を堪能する事も可能。

これまでにも宿の人とのやり取りや気遣いで思い出に残り、旅が一層楽しいものになる事が多くあった。洞爺湖の景色と女将の気遣い、熊本南部でブルートレイン宿を運営するNPOのメンバー。出張だと一般的なホテルやビジネスホテルばかりで味気ないが、それでも温泉や大浴場があるだけでも疲れが取れる。+αで宿の人の気遣いやちょっとした笑顔で次の日の活力が湧いてくるのだから、宿選びは重要な項目の一つとなってくる。

別府の旅はそんな事も感じさせる旅だった。

テーマ : 湯巡り♪ - ジャンル : 旅行

中国列車の旅

二十年程前、中国を旅した事のある人は同じ感触を持つ人も多いかもしれない。電車は普通しかなく上海まで20時間以上かかっていた(現在158元)、K12(快速のK)とかT109(特快のT;179元)とかが出てきた時は14時間前後であまりの速さに驚いた。Z1(直達特快のZ)は、途中駅に止まらずに着くため、速いだけでなく、途中駅で起こされる事もなく快適な眠りが約束された。それが今ではD321(動車組のD;311-410元)は8-11時間、G7(高速動車のG;555元)は4時間48分-5時間半
中国鉄道の進化はたった15年で世界に誇るものになっている(事故は隠すが…)。
555元出す位なら、ゆっくり15時間T109の寝台列車で柔らかいベッドの特等車で499元がお薦めだなぁ。
D311やD321の特等ベッドは698元でも北京駅を21時に出て翌日9時前に上海に着くのでホテル代を考えると安いかな。

上海だったら便も多いし飛行機を使うけど、南京だったら3時間半、飛行場までの往復を考えると、街の中心に着く列車が便利かも(駐在員が多い朝暘区から北京南駅は不便だが、留学生の住む海淀区までは地下鉄一本で便利)。

切符の入手も格段と楽になった。
北京駅には切符を買う行列で溢れかえっていた。始発駅なら、それでも切符にありつけたが、途中駅には1日の割り当ての様なものがあり、民族大移動の時期は、まず切符が買えなかった。大きな駅には外国人用窓口があり、値段は高いが並ばずに買うことが出来た。地方の駅には外国人窓口がない所も多かったが、裏口があった。外国人だけでなく、権力者やコネのある人、少し手数料を払っても切符を手に入れたい人と高く売りつけたい人の思惑が絡み合い、真冬に真面目に1日並んで買えない人を横目に、易々と手に入れるシステムが出来上がっていた。偽造切符も出回っており、本物と見分けがつかず、それで乗る人も多かった。
それが、オンライン化され街の至る所に列車の切符売り場が出来て、殆ど並ばなくとも切符が買えるようになった。
今は、飛行機も電車もネットで注文して家まで届けてくれるし、席も事前にネットでいい席を抑える若い人が増えた。
5年前にはリニアモーターカーが営業を開始し、普通に旅人の足となっている。
今後15年先の中国を誰が想像できるだろう。世界でも影響力の少なくなった日本との関係はどうなっているのだろう。一つ言える事は、その時も歴史への恨みは続いているだろう。



北京を出たての荒涼とした土地と違い、2時間も走ると少し緑も増えてきた。南に下って3時間半。12月も半ばなのに緑の畑が続く。2期作で何かつくるのかなぁ。在来線と20分ばかり平行に走ると、そこは合肥の町。いきなり高層ビルがニュキニョキ建って来ると,そろそろ到着の車内アナウンス。

車内は、制服姿の警察も通るし、カートを引いた販売員、スチュワーデスを意識した制服姿の服務員。恰好は良いが、グリーン車一番後ろの席で足広げて横着に座っている姿を見たら、がっかりするね。グリーン車は4列シートの1等席以外に特等席のの3列や2列シートがあるが、これには乗った事が無い…。

中国の列車、10数年前とは格段に違うが、10年後の中国は想像もつかないので、今の時代の列車には、今の内に乗っておいた方が良いと思う...。

テーマ : 鉄道の旅 - ジャンル : 旅行

安徽省合肥

三国志に触れたことがあれば、合肥の名に思い入れの強い方も多いだろう。
15年前に訪れた時は、何処にでもある田舎の省都。交通の便や歴史的意味はあるにしても、パッとしない街だった。今回、飛行機が着陸する前に都市部の上空を旋回し、高層ビルの直ぐ上を通るのも経験して驚きもしたが、それ以上にニョキニョキとビル群が建っているのに異様な感じを受けた。沿海部の発展は更に凄いものがあるのだが、こんな内陸部まで発展は止まらないのか…と恐ろしくもなった。エレベーターや電気・水・石油が以前の数十倍も使用されている事だろう。
蜘蛛の糸ではないが、自分達だけ先に現代の暮らしを享受しておいて、内陸部の人に広いマンションや自動車を買うなとは言えないが、そう思ってしまう自分が一番の強欲者だ。

日系企業の工場は大企業が数社しかないが、チャイナリスクを考え今後日系で中国に工場を建てる企業は減るだろう。合肥側も日系に頼らなくとも、欧米系や中国系の大規模工場が立ち並ぶ事であろう。中国が日系企業を誘致し、技術を教えて貰おうと言う時代も終わりに近づきつつある。中国国内企業やその他の国々の力で、ある程度の物は作れてしまう。その時に中国が欲しがる日本の技術は最先端の…若しくはこれから創造される技術のみかもしれない。
そうなった時に、中国系の企業様や一般の皆様に買って頂ける物を日本の企業は作れるのか?この世で一番嫌いな国日本の物を買わなくとも、欧米系が向こうからすり寄って来る。中国国内の技術力もついた10年後、巨大市場としての中国に日系の残る道はあるのか?
欧州・米州・亜細亜と世界経済が三分されるとすれば、歴史上の覇者欧州と組むのか、片想いの米州と両想いになれるのか、亜細亜の仲間に入れて貰うのか…。今のままでは、どれも実現できそうにない...。

テーマ : 中国 - ジャンル : 海外情報

古民家再生とボランティア

被災した古民家の再生ボランティアの皆さんが一泊4日(車中2泊)で関西から来られ、その受け入れ側のお手伝いをさせて頂いた。一緒に再生もお手伝いしたが、30名以上でやっても1-2日で出来たことは完全再生まで1000の工程があるとするとそのうちの1か2出来たかという位だ。鉋や鋸を初めてとか数十年ぶりに使ったボランティアが作った雨戸等も、斜めで隙間もあき豪雨では雨水が漏ってしまう。それでも家の持ち主さんはニコニコと教えながら皆の作業を見守っている。まるで、被災者を助けているのではなく、この被災者が遠くから来た日本の若者を助け導くように…。
ボランティアを見守る家主さん


今年中に取り壊せば解体費用は公費で賄える。この地域は2件しか残ると決断した家が無かったため、水や電気などのインフラも整備される見通しは立たない。再生やその後の維持、ゆくゆくは解体と莫大な費用が掛かるにも関わらず、家主さんは再生を決断された。周りでも歴史ある大きな古民家が再生を断念して取り壊されていく中、静かにぽつんと立つ事になる。それでも残したい心の奥底はどうなのだろうか?
ここだけがぽつりと残る

先祖代々受け継いできた大きな民家の大きな神棚。不思議とその神棚の下まで水が来たが、3日後に何とか山を越えて妻の待つ家に戻って来たときも、神棚は全く無傷のまま整然と並んでいたのだそうだ。塩水を吸った土台部分と柱は今後何年持つのか判らない。昔ながらの土壁なども補修が大変で、その後の手入れ・維持もこれまで以上に困難だと思われる。それでも残したいと思う気持ちは、この荘厳な神棚をみれば湧き上がり、この若者たちの少しでもお手伝いをしたいと言う顔を見れば続けられるのかもしれない。裏山の階段作りや、泥を被った荷物の水洗いも素人ながらに頑張った。見た目もバラバラで、斜めで隙間だらけの雨戸でも一生懸命作ったボランティアは達成感でニコニコ笑顔だ。そんな顔を見るためにここを残そうと決断されたのなら、彼こそがどんな有名人や政治家より今後の日本人を救っていく自発(自主)性、無償(無給)性、利他(社会、公共、公益)性を持った、先駆者なのかもしれない。
先祖代々からの大きな神棚


石巻のNPOで感じた事を大きく3つに纏めると、
  1. 東北の人は強い  2.ボランティアは自分の為  3.自然と共存

1. 東北の方々は力強く、暖かい、働き者。早朝5時から朝飯前の一仕事して、歯を食いしばって(仕事を楽しみながら)活きている。地元の方に触れられて本当に良かった。
3.11の被害は今も続いている。子供たちだけでなく、大人の心にも深い傷をつけ、癒されていない人々も多い。それを忘れるように大人達は仕事をするが、子供は?本当に心を癒してくれるのは自然であり、動物達であり、心の通える人々との交流である。

2. これまで、数多くのボランティアに参加してきたが、東北で数日のボランティアでは何もできず、それでも一生懸命人の為に尽くすとその何倍もよい経験ができ、結果として自分の為になる。他人ごとになっている多くの方々に1度でいいから現場を感じてほしい。
 そして、その経験を一人でも多くの人に伝え、この教訓から何を学ぶべきなのかを、みんなでもう1度考えてほしい。

3. 自然を敵に回したり、封じ込めようとしたりしても無理である。原発存続は賛否両論だろうが、全ての動植物の遺伝子に影響を与える事を考えると、100%安全が保障されない現時点で、人間だけで自分勝手に話を進めて良いのだろうか?動植物だけでなく、鳥や魚、森の精霊たちも交えて議論すべきでは?
如何に自然と共存するかを考えると、回答は自ずから見えてくる…。
 


テーマ : 東北旅行 - ジャンル : 旅行

東北で想う1

石巻、311以降の報道は何度となく目にしてきた。
自分の無力さ、自然の恐ろしさ、人間の愚かさ…色々な事を考えさせられてきた。
直ぐにでも東北へ来たかった。仕事、子供、家族…色んな柵で行けなかった。
1年半近くが過ぎた。
ボランティアも少なくなって来た今だからこそ、行かねばと思った。
海外駐在になる前に行かねばと思った…。
今回、活動した地域(新北上大橋周辺)


石巻の地元NPO「りあすの森」。震災後に立ち上がったNPOで、様々なプロジェクトを企画しつつ、関西や関東の組織と連携しながら様々なボランティア団体の受け入れなどもやられている。地元の高齢者達と数少ないメンバーで遣り繰りされており、毎日仕事が盛り沢山と言った感じだ。
朝は5時に起きて朝飯前の馬の世話。この北海道からやってきた優しい3頭の馬は、震災で傷ついた子供たちの心を癒すホースセラピーに使用される。朝食を食べて草刈り、昼食後は先日刈った草を軽トラに積み込みお馬さん達の餌となる。
オレンジとオリーブ


次の日は、一泊4日の古民家再生ツアー団体の受け入れ。ここの昼食の手伝いや活動記録を撮りながら、一緒にボランティアとして古民家再生にも協力させて頂く。ここに参加されていた大阪の8名の先生たちは、非常に明るく、真摯に活動を受け止め、地元に帰って自分の生徒たちや後輩の先生方に伝えて行くと仰っていた。
古民家と同じ地区にある、やっと復興した民宿のお手伝いもした。電気は寄贈されたソーラーパネルでなんとかなるが、水が復旧しない事には日常生活すらままならない。この集落は、軒並みやられて、残った2件のみでは、ライフライン整備すら出来ない。「なんとか、あと3件だけ来てくれれば、こんなに好い所はないので必ず人は増えるのに…」農林漁家おかあさん100選にも選ばれた女将さんの心言葉が心に沁みる。

 被災した石巻市立大川小学校。実際に現場に立つと言葉が出なかった。
もし自分が教師だったら、どの様な行動を取っただろうか?
丁度同じ日に平野博文文部科学大臣も初めてこの学校を訪れた。
もし彼が本物だったら、どの様な行動を取るだろうか…。
大川小学校

テーマ : 東北旅行 - ジャンル : 旅行

東北で想う2

その他、このNPOが関わった民間のみで作った復興支援住宅や今後開発予定の場所、十三浜の被災した漁村を視察した。こんなに静かな海と長閑な風景。都会の生活には戻りたくないと感じるほど、美しい環境は、1年半前にあんな大惨事がおこったと思えない。
民間の手で造られた復興住宅


このNPOでは様々な素晴らしい方々にもお会いできた。様々な知識とご経験を持つ理事長や事務局長。東京の会社を辞めこちらに拠点を移し、古民家再生に深く関わる方、数日間でもボランティアにと各地から集まった若人達。最終日は、震災直後から何度もこちらに通ってくる東京の方に石巻駅まで送ってもらった。25歳と若いのに、50代の政治家や企業幹部よりこの国の行く末を案じ、その一歩を踏み出している。

松島で年に一度の祈祷の準備をしている光景を見ている時に隣から話しかけてくれたくれたのは自治会長で、「このお堂は、地震も津波も何ともせず無事だった…。今回の地震や津波が東京でなぐてよかったぁ~。もし東京だったら日本は沈没するっぺ。おら達東北だけでほんどによかった…」色々とお話を聞かせて頂いた後、特別に準備中の内部に上がらせて頂きお参りをさせて頂いた。ここ以外にも、多くの寺社仏閣は何を免れている。少し高台に作った先人の経験や知恵もあろうが、目に見えないパワーも感じる。
被災を免れた五大堂

人間の力や科学で説明できる能力など所詮ちっぽけなものだ。この大自然を力づくで手懐けようとした結果、驕りも生まれた。科学力を過信して海や空を汚染し、人間のみならず動植物の遺伝子レベルにまで傷つけてしまったのに、それでも自分たちが一番優れていると勘違いしている。森の賢者や精霊たちは何も言わず、ただ愚かな人間達を見つめている。

テーマ : 東北旅行 - ジャンル : 旅行

「USAへようこそ!」大分国東半島編 

国東半島は、神仏習合の信仰形態をもつ宇佐神宮と関係の深い土地であり、古くから仏教文化が栄えていた。熊野磨崖仏では、鬼が一夜で築いたとされる階段を昇って行くのだが、かなりのパワースポットと思われ、マイナスイオンの森林浴も加わり、体が非常に軽くなった。
富貴寺は、平等院鳳凰堂、中尊寺金色堂につぐ阿弥陀仏と平安建築があると言う前触れで行ったので、人も少なくあまりの素朴さに拍子抜けしたが、そこはかえって簡素で趣のあるお寺だった。
bungo-takadas.jpg

昭和の町豊後高田は、町全体がレトロな雰囲気を醸し出し、40歳以上の昭和の記憶をはっきり持つ世代には田舎の町にタイムスリップした錯覚を起こさせ、楽しませてくれるだろう。
お薦めは、駅前通り入ってすぐの食堂虎屋。ちゃんぽんやチャーハン、親子丼、カレーなど、殆んど350円。質素な食器類や素朴な味付けは、昭和のお袋の味。外観も素敵だが、のれん潜ると狙っているわけでもないのだが、インテリアもおばちゃんの雰囲気、昭和の食堂がそのまま現在に。

宇佐神宮は庭が広い

最後に時間が無かったが宇佐神宮へ。ここは期待せずに訪れたが、かなり広くて吃驚。伊勢神宮に次ぐ重要な神宮として、全国の八幡宮の総本山だとか…。
詳しくはサイトを参照


侮るなかれ国東半島…。


テーマ : 九州の旅 - ジャンル : 旅行

tag : マル秘

列車の旅は車窓を見ながら…

お盆休み帰省の九州新幹線「さくら」の中で、朝礼で話したお盆について少し纏めてみる。
Q.お盆って何時から何時までだと思いますか? どこから来た風習ですか?
A.旧暦の7月1日から末まで。  日本古来の風習に仏教、道教も影響した。
(でも、死者があの世から大挙して来るとか、黄泉がえりの考えは中国にもあまりないようです…)

1年を半期ずつに 分けると前半の始まりはお正月、後期の始まりが7月の盆となります。
ウチは8月だ!!  と仰る方がおられるかと思いますが。。。
(新暦:太陽暦が導入されて、そのまま新暦7月15日に行う7月盆、沖縄等に残る旧暦:太陰暦のお盆、その旧暦に近い季節にする為に新暦移行後、一か月ほど遅らせた8月15日の8月盆と3つのお盆が日本では行われているようです。

7月1日を「釜蓋朔日(かまぶたついたち)」とよび、この日からお盆が始まる(=「盆入り」)とする地方が全国的に見られます。
 「お盆には地獄の釜のふたが開く」という話の伝承に由来します。地獄というのは「あの世」という意味で捉えればよいかと。精霊たちがあの世から戻ってくる季節の始まりを伝えています。
7月7日を盆入りとする地方もたくさんあります。東北地方・中国地方ではナヌカビ、近畿地方などでは七日盆(なぬかぼん)呼ばれることが多いようです。
七日盆の行事として、墓掃除、盆棚つくり、仏具磨き、路草刈りなどが行われます。
盆中(旧暦7月13~16日)をちょうど真ん中にはさむかたちで、7月7日の「七夕=七日盆」と、7月24日の「地蔵盆」があります。
関西地方をはじめ各地に月をまたいだ8月1日=「八朔」をお盆の行事としていちばん最後の日取り終い盆(しまいぼん)にあてる所があるそうです。

盆礼と正月礼盆礼は正月の「正月礼」と対応する行事です。一般に「お正月は神事、お盆は仏事」といわれ、お正月には親戚まわりをします。地方によってはこの1年間に不幸のなかった家で「結構なお盆でおめでとうございます」といった挨拶を交わすところがあり、お正月との類似がみられます。
盆礼の贈答 がなされ、「お中元」は、この盆礼の贈答に起源があります。
本来、「中元」とは7月15日のことで、古く中国では上元(1月15日)、下元(10月15日)と共に重要な祭日でした。これは道教の思想に由来します。この3つの元はそれぞれ3人の天神様の誕生日で、人々はお祝いにお供え物をしました。

 一方日本には仏教の「盂蘭盆会〔うらぼんえ」、つまり先祖供養の行事「盆」があります。この盆には、迎え火や盆踊り、送り火などの様々な儀式があり、その内の1つに「盆礼」があります。これは親や親戚、近所の人々の間で霊前に供える品物をやりとりする習慣でした。これが中国の中元の供え物と結びつきました。この慣習は室町時代の公家の間で広まり、江戸時代になると庶民の間でも定着しました。

 この様に、日本古来の行事に、中国から伝わった仏教・道教の文化が融合して、現在のお盆があります。

 本日14日の夜に実家に着くので、15日にお墓詣りして、暑い熱い夏休みが始まる…

中国西北をゆく

読んで頂いた方に中国の事をもっと知り、好きになって欲しいとの願いを込め書き始めた“中国の旅”シリーズ第3段。
中国北西の新疆ウイグル自治区、聞いたことも無い方も多いかもしれませんがシルクロードでも有名な嘉峪関や敦煌を抜けた西の果て。
新疆には、13の民族が居住しトルコ系の言語を用い、イスラム教を信仰する民族が多い。タクラマカン砂漠の周縁に点々と連なるオアシス地域に居住して農耕や都市生活を営む定住民(農耕民・都市民)のウイグル族。モンゴロイドの諸民族が、白系人との混血によって、中東系の容貌の民族をつくりあげ、西方の歌舞や音楽、食事や風習を融合させた独特の文化を持つ。
砂漠とは違い、天山山脈とその北側に広がる草原地帯およびアルタイ山脈で牧畜を営む遊牧民:カザフ、クルグズ(キルギス)、モンゴル、その他タジクやオロスなども独特の生活をしている。

シルクロードは2人旅?

1998年小学校調査のついでにタクラマカン砂漠を一周しようと目論んだが、5分の4まで進んだローラン遺跡の近くまで来たときに、3日に1度通るという郵便の車に乗る事が出来ず、一周は達成できなかった。
玉で有名なホータンから西の小さな村では、いきなり大きな石で襲いかかられる事もあったが、砂漠にスタッグしたバスなどをスクラム組んで一緒に押したりする間に現地の方との友情も芽生え始めた。西の果ての街カシュガルでは、奇跡が起きた。北京で2年前に一緒に飲んだ【中国大陸を歩いて旅する男】と偶然同じ宿に泊まり、入口でお互いに「おぉ~~なんでここにいるの?」とご縁の悪戯を喜び、飲み明かした。翌朝、彼は北に僕は南に旅に出た。
その後、カシミール地方の国境タシュクルガンへ向かった。コングール山 7719mの麓, 海抜3600mの高さにあるカラクリ湖付近で見かけたチベット地方のヤクとラクダの共存は「サンクチュアリだ~」とひとり感動していた。
何が起こるか判らないのが「旅」。必ず起こるハプニングに対し、いちいち腹を立てたり失望したりしていたら折角の旅の素晴らしさも半減してしまう。むしろ旅のイベントと捉え、「次はどんなハプニングがあるかなぁ~」と楽しんでこそ旅を面白くする事が出来る。

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